お知らせ
12月に突入しましたね。
まずは心落ち着く写真をご覧になってください。
こちらは先日 行ってきました日本三景の一つ、京都の天橋立です。
川から流れ込む砂や小石が堆積してできた天然の橋で、4000年くらい前からここにあるそうです。
天と地を行き来するために立てかけていたハシゴが倒れてしまってこうなったというダイナミックな伝説も。
さて、この近くに「真名井神社」というところがあるのですが、その辺りでは弥生時代の儀式のアイテムなど出土していて、古代からの祭祀場であったと考えられています。
境内にはその時代から使われていた立派な磐座(いわくら=祭祀のときに呼び寄せた神が宿る岩)があるとのことで、巨岩や古代のものが好きなわたしは旅の目的地のひとつに入れたのでした。
近くに観光スポットがあるのにとても静かな場所でした。
聖域と言われるほどだそうで、境内に近づくと空気が変わるのがわかるとか、磐座からすごいパワーを感じたり、畏れを感じたり、体調に変化が現れたりする方などいるみたいです。
わたしはそういうのは全然無いタイプなのでここにすごい体験談は書けないのですが・・・。
でも、祀られている神様の名前はちゃんとそこに記されているのに、わたしは自分が何に参拝しているのかよくわからない不思議な感覚になりました。
しばらくして、あの場所は「すべて」につながりやすい場所だったのかもと思うようになりました。
すべてというのは、森羅万象という言葉がぴったりだと思うのですが“宇宙に存在する万物やあらゆる現象”のことです。
そこら辺にある石ころから自然現象、無限の時空や次元までも含みますので、もしかしたらあの場所では、あの世といわれている世界から死者の魂を呼び寄せたり、どこか違う次元のすごい存在を呼んでお告げを仰いだり、遠い星の生命体と交流したりすることもあったりして・・・などと想像が膨らみます。
人々にとってはそこでつながるものはみんな神であったと思います。
古代日本ではこの世のすべてのものに神が宿っていると考えられていたようですが、もしかしたらあらゆるものとつながるこういう場所があったからこそそういう考え方が自然に起こったのでは?という気もします。
現代は色々な技術が進んで物事をある程度コントロールしたり、気に入らないものを望み通りに直したりできることが多くなってきてとても便利です。
でも古代の人みたいに、美しいものだけではなくて醜いものや恐ろしいものなども含めたすべてをこの世の大切な一部としてありがたく思って尊重する心を育むことの方が、本当は幸せへの近道なんだろうなと思いました。